子供は不自由で自由、大人は自由で不自由

今の自分は自由だろうか?

今と子供の頃どちらが自由だっただろうか。

 

子供は不自由で自由だ。

小学生はお金もない、決められた時間に学校に行かなければいけないし、門限があったり、校区があったり制限が多く不自由だ。

 

一方大人はどうだろう。使えるお金は圧倒的に増え、門限もないし、校区もない。親に指図されずとも自分で好きに選択できる。子供に比べて圧倒的に自由になったはずなのにどこか不自由に感じる。
なぜだろう?

自由とは裏を返せば「選択しなければならない」ことである。

そして「選択する」ということは予想以上にエネルギィがいる作業だ。

大人になると自由が増えるに伴い、選択する機会も増える。
その機会があまりにも多すぎて、我々は選択することに少々疲弊しているのではないかと思う。

 

小学生の頃、レストランにいってメニューをワクワクしながら見ていた。

旅行先や運動会の役柄決めの時も心を躍らせていた。


小学生の頃あれほど憧れた自由が、いざ与えられてみると自由すぎて逆に身動きが取れなくなるとはなんとも皮肉なものである。

 

私が今思いつく解決策をあげるなら、ルールを決めるということ。

そう、ルールを決めてあえて不自由にするのだ。

 

何事も程よいことが一番だ。

小学生の頃は少し不自由すぎたし、大人は自由すぎる。

どちらも度がすぎるとかえって不便だ。

だから、もし、「選択すること」に疲弊したならルールを作ればいい。

「メニュー決めで迷った時は安くて量が多いコスパが多いものを注文する。」

「交通手段で迷ったら安さよりも速さを優先する。」

「メールは朝一の30分にまとめて返す。」

なんでもいいからルールを作ることで少し「不自由」になることが私たちが「自由」になる一番の方法ではなかろうか。